第二章・後編

「マッキャン・エリクソン博報堂との出会い」

残念な事に、私には引き受けるだけの時間がなく丁寧に断った。しかし、心は騒いでいた。歴史的建造物を後世に残せるチャンスを放棄した事にいつまでも心の奥底に沈澱して、今でも思い出すと「非常に残念な事をしたな」と悔やんでいる。
その後、矢来町から六本木に事務所を移し社員も20数名に膨れ上がっていた。私自身、会社とイラストレーターの両立は難しくなり義理の妹にデザイン会社を任せ、自宅に籠りきりの生活になった。
仕事の絶頂期で、私の制作したイラストレーションは新聞、カタログ、看板、長大な垂れ幕を飾る店などで街に溢れていた。

それらの仕事はコカ・コーラやグッドイヤー、三菱キャタピラーその他であった。
丁度その頃だったと思う。エッソ石油の虎のキャラクターを頼まれた。それから間もなく、エッソでは新しいサービスを始めた。それは、エッソ・ガソリンスタンドでガソリンを入れた客にガソリン注入口の蓋に虎のシッポをつけるサービスだった。それが客に受けて一つの流行みたいになった。しかし、悲劇なのはガソリン注入口が真後ろではなく後ろ横に注入口のある車はサマにならず、悲しくむしろ滑稽だった。トヨタ車は真後ろに注入口があるため、虎のシッポをカッコウ良く風になびかせながらドライバーは街の中を得意気に颯爽と車を走らせていた。
今、思うとやはり楽しくおかしな時代だった。

※旧赤坂離宮

戦後は国会図書館、東京オリンピック事務局等が置かれ、74年3月迎賓館として生まれ変わった。

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