第一章

「イラストレーターになったきっかけ」

1963年頃、世間にはイラストレーターという言葉すらなかった。この当時はグラフイックデザインを商業美術と呼び、現在のイラストレーションは出版においては挿し絵画家が存在し、広告の世界では商業美術家及び画家が依頼されて描いていた。私は当初からイラストレーターになろうとは考えても見なかった。学校を出た後、八重洲口にあるタイプライターの会社へ勤めたのだが配属されたのが事務系の仕事だった。
就職難の時代難関を突破しての就職だったが、事務の仕事では3ケ月ともたなかった。2度目の就職先は小さなデザイン会社だった。

上のイラストレーションは「コルト1500」のダッシュボード。イラストレーターとして初めての仕事だった。この当時は、「コルト」「デボネア」の乗用車を生産していたが特に「コルト」はチルトハンドルで注目を集めていた。

高校生の頃から絵を描いてきた私にはデザイナーはやってみたい仕事の一つであった。しかし、5年後にはデザイン会社を「始めてしまった」と云ったら何か自分の意志で会社を作ったように聞こえるが、私にはそんな能力がなく周りの人たちがそれぞれの分野で会社に必要な物を揃えてくれたので、ただそれに乗っかって会社を始めてしまっただけの話である。初めての会社は西久保巴町に設立した。東京タワー、六本木の近く又銀座にも近かった。
東京タワーは四本の足の部分だけしか出来てなく、事務所から建設途中の東京タワーの足の部分がにょっきり見えていた。環境的にはとても良い場所であったが一年で事務所も手狭になり神楽坂からまもなく矢来町へ移転した。

上の画像は「コルト1200」〔カタログから抜粋〕
カタログには、「名神に続く東名高速道路の完成もまぢか・・・いよいよハイウェー時代の到来」と書かれている。
●実用連続最高速・・・130 km
●チルトハンドル
●モデルはSPORTY DELUXE

第二章へ続く